2月・例会

寒さ募る夜となりましたが、岐阜のご寺坊で華道の研修を行いました。

昨年、茶道を指南して下さった僧侶の方を講師に迎え、華道のイロハを
教えて頂きます。
まずは講師さんの丁寧な解説と、手ほどきを見学。
続いて会員たちも自ら、盛花に取り組みました。
天・人・地の主枝を中心にバランスの取れた配置を意識しながら、花を
添えてみますが、剣山に末枝を埋め込む作業が一苦労。また納得のゆく
配置が、難しい……。

改めて伝統芸術は奥が深いと実感。機会があれば、また挑戦してみたいです。
その後はいつも通りの例会に移行し、議事を進めました。
寒さが続きますが、心は熱く今年も活動を続けていきたいですね。

平成30年2月例会①

平成30年2月例会③

1月・例会

年が改まって最初の活動である寒行托鉢。
年末の成道会黒衣法要と並んで東国青年会の冬季の恒例行事となっております。
この地域で寒行托鉢をする僧を目にすることはほとんど無いので
折角の機会だと思い、お檀家さんに通知をしましたところ
(本来はそういうものでは無いですが)
八十代の方からは「子供の頃、どこのお坊さんかわからないけど
托鉢に回っているお坊さんがいたねぇ。」と懐かしむ声を耳にしたり
「托鉢に来たお坊さんに頭をポンポンとしてもらったのが今でも忘れられない」と
涙ぐみながら話して下さる方もありました。

今季一番の冷え込みということもあってか、出会う人はまばらでしたが
私を含めた八名の会員がお念仏を唱えながら町内を行脚しました。
私にとっては普段お参りに行くのに通る道ばかりだったのですが
行脚の装束を身に着け、お念仏を唱えながら会員の皆さんと一緒に歩くことで
とても新鮮で清々しい気持ちになりました。
途中数か所で路傍の石仏をお参りしつつ、一時間程で寺に戻りました。

浄土門の私たちにとって寒行は数少ない修行でありますが
そこには厳しさだけでなく、お念仏に包まれている温かさが自ずから現れる
そんな僧侶でありたいと思いました。

平成30年1月例会・寒行托鉢②

平成30年1月例会・寒行托鉢④

12月・法話

今年も残り少なくなってまいりました。
振り返ると皆様それぞれいろいろなことがあったかと思いますが
今この時平穏で過ごせることが幸せかもしれません。
とはいえ、やはり健康で充実した日々を送れるよう願いたいものです。
そのためには、心をいかに豊かにそして温かく持ち続けるか・・・
医学的にもよく言われることでもあります。

仏教では、このような心を得るために
「他の人のために行動する」暮らし方を日々心がけましょう
と導びかれています。これを『利他』と呼んでいます。
利他はよくこのような使い方をします。皆さんは心当たりはあるでしょうか。

「自利利他」・・・自らの幸せを求めつつ、他の人の幸せを願う。
「忘己利他」・・・自らの幸せを差し置いて、他の人の幸せを願う。

忘己利他はそう簡単に実践できることではありませんが・・・
利他は、言葉を置き換えると、「施す」ことになります。
身近なところですと、私たち僧侶がいただくお礼を「お布施」と言います。
昔々、僧侶は信者の方々からいただいた布キレを縫い合わせた衣を着ていたことに
由来すると言われていますが、この他にも、施(せ)の前に一文字加えると
他の人のために行動できる様々な「施し」ができるのではないでしょうか。

財施(寄付)
眼施(優しい眼差しを向ける)
身施(手を貸す、助ける)
聞施(悩んでいる人の話を聞く)・・・

他に思いつくものはありますか?
難しくはないはずです。私たちが少しだけ行動を起こせば
お互いに心が豊かに温かくなれると思います。
そんな暮らしを心がけると、今年も充実して締めくくることができ
気持ち良く新年を迎えられそうですね。

12月・例会・黒衣法要

今年は早くから真冬並みの寒さが訪れ、月日の感覚を失いかけていましたが
東国青年会恒例のお釈迦様のお悟りを祝う成道会を厳修すると12月
いよいよ年末だなぁと感じます。
普段の例会ではいつも私服で参加する会員ですが、この日ばかりは全員が
黒衣・如法衣を身に着けます。
法要などが無ければ、会員がお揃いの法衣で一同に会する機会は
意外に無いんです・・・。
そして作法と声を1つにして礼讃を唱えると、寒さも加わりピンとした空気に包まれます。
しかし読経が進むにつれて本尊の阿弥陀仏・お釈迦様との有り難いご縁を感じ
清々しい気分となりました。目まぐるしかった今年を振り返り
何よりも無事に過ごせたことへの感謝を思い、お念仏を唱えました。

来年は東国青年会も発足45年を迎えます。
仏様に見守られながら、会員それぞれが失敗を恐れることなく
色々なことを学べる年でありたいと思います。

平成29年12月例会①

11月・法話

今年は十月四日が十五夜・中秋の名月でございます。
中秋の名月というと九月のイメージがあったのですが
旧暦の八月十五日ということで、十月になることもあるようですね。
また、中秋の名月といえば真ん丸お月様、満月だとばかり思っていましたが
必ずしもそうではないようです。
恥ずかしながらこの度初めて知りました。皆様ご覧になりましたでしょうか。
私は四日の夜、所用を終え大阪から愛知へ帰る途中、山間の高速道路を
走っていた時、お月様が目に入りました。
あたりはほとんど照明のない真っ暗闇、見えているのは道路だけ
というような場所。そんな場所で優しく光っているお月様がありました。
周りが真っ暗闇であることによって、普段より一層お月様の光を感じました。
帰り道をずー っとついてきてくれるようにも見えます。
高速道路で脇見運転ならぬ見上げ運転ですが…。

周りを優しく照らすお月様、ついてくるお月様。仏教の開祖、お釈迦様が
残された言葉にこのような言葉がございます。

「人が行くこと百里千里であっても、月は常にその人に従う。
月はまたすべての上に現れる。町にも、村にも、山にも、川にも、池の中にも
かめの中にも、葉末の露にも現れる。月そのものに変わりはないが
月を見る人によって月は異なる。仏もまたそのように、世の人々に従って
限りない姿を示すが、仏は永遠に存在して変わることがない。」

仏さまって何ということの一つの答えが語られています。
仏さまはお月様の様に、分け隔てなく私たち一人ひとりを照らして下さり
いつも私たちと共にあってくれるのです。
そしてそのあり方は様々で、時には風が、時には音が
もしかしたら今隣にいる人が仏さまであるかもしれません。
仏さまを身近に感じられた時、一人じゃない、そう思えるはずです。

中秋の名月は過ぎましたが、益々空気が澄んでいくこれからの季節
お月様を眺めながら、仏さまを心に思い浮かべてみてはいかがでしょうか。

老人クラブ法話  2017年10月