4月・法話

本日は「おみくじ(御神籤)」に関する話でございます。
100%とは言えませんが、大人であればほとんどの方が
一度はどこかでおみくじを引いた事があるかと思います。
その結果に一喜一憂したり、日頃の生活の教えや参考にしたりと
くじを引かれた多くの方々が、そのような経験をされたのではないでしょうか。

さて、おみくじにおきまして、「凶」を引かれた事のある方は、おられますか。
私も今までに何度かおみくじを引いてまいりましたが
一度も「凶」に巡り合った事はございません。
以前に学校の先生が
「そんなものは、引いた人が悲しむから、最初から入っていないだろう。」と
話していたのを覚えています。確かに場所によっては、そうなのかもしれません。

しかし先日、お参りに伺ったお宅のご主人が、「前に凶を引いた事があるぞ。」と
話されました。「やっぱりある所にはあるものだ。」と思っていたところ
そのご主人のお話がとても心に残りました。
「確かに最初は落ち込んだが、考えてみればこれは良い事なのかもしれん。」
「なぜでしょうか?」
「私がこの凶を引いたという事は、他の誰かが引く運命であったかもしれないものを
私が代わりに引いてあげた。つまりその人に嫌な思いをさせずに済んだ。
これは良い事をした、と言えないだろうか。」
「言われてみればその通りですね。」
「それにあの時凶を引いた事で、それまでの自分に、どこか悪い所があったのか
少しだけだが考えるきっかけにもなったわ。」
見方を変えるだけで一つの「凶」をこのような形で捉える事は
自分ではなかなか出来ないだろうなと、大変勉強になりました。

我々のご本山、永観堂禅林寺の御本尊、みかえり阿弥陀様は
お顔を左に向けておられます。
このお姿には、「思いやりを持って周りを見つめる」姿勢と
「自分自身を省(かえり)みる」姿勢を表しておられます。
口で言うのは簡単ですが、実際に行うのは難しい事かもしれませんね。
一つの「凶」で、自らを省みる。「凶」は決して悪いものではない。
もしいずれ機会が訪れましたら、悲観的にならず、この話を思い出してみたいものです。
しかし、そうは言っても、せっかくの本日のご縁、皆様にとって
「吉日」となりましたなら、私も幸いでございます。

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