2016年 6月

すっかり梅雨の時期になりましたが、インドでは古来この時期「夏安居」といって
僧侶は僧堂に籠り、室内での修行に努めました。
主な理由としては、生き物の活動が活発なこの時期、むやみに出歩くと
生き物を(踏んだりして)殺してしまうからです。

 多くの既存宗教が不必要な殺生を戒めていますが、特に仏教は
「悉有仏性」と言ってすべての生き物に仏が宿っているという考え方をします。
つまり人間であろうと動物であろうと植生であろうと、「縁起」によって
生れてきた存在であるので、その命の尊さに貴賤も軽重もない、という考え方です。
ちなみに「縁起」というと「良い」とか「悪い」とか通俗的に使われますが
教理本来の意味としてまったく違います。
縁起とは梵語ではPratitiya-Samutpatiと言いますが、「縁って起る」。
即ちこの世のすべては互いに関係し合って存在しているという真理です。
言い換えれば、縁起の法則なしに存在しているものなどひとつもない。
例えば、私たちがこの世に生れてきた感謝の念を一番身近に感じることが
できるのは両親などや祖父母などの親族ですが、彼らもまた膨大な縁起の
理(ことわり)の中で出逢いを繰り返し、その繋がりによってこの世に生れてきたのです。

法然上人の登山状に、「多生曠劫をへても生れがたき人界にうまれ」という一節が
ありますが、私たちがいったいどれだけの確立で生れてきたのか…。
この「縁起」の理に照らし合わせてみた時、多少なりともその奇跡を感じることが
できるかもしれません。

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