11月・法話

私たちはありがたいことに、毎日おいしい食事をいただくことができます。
ふっくらなお米、季節の新鮮な野菜や果物、柔らかい肉、脂ののった魚・・・
お腹が鳴ってしまいます。

小中学校の同級生と、なつかしい給食の話に花が咲きました。その中で

「今は「三角食べ」って勧めてないんだって。
あれはおかずが少なかった頃のことらしいよ」
「今これをやるとご飯を食べ過ぎてカロリーオーバーになるんだって」

皆さん、「三角食べ」はご存知ですか?
私が小中学生の頃、先生から「三角食べをしなさい!」とよく言われたものです。
今でもその感覚は抜けません。給食といえば、200円少々で栄養バツグンの
優等生な食事のはずなのに・・・時代は変わりました。

しかしおかずはもとより、満足な食事さえできなかった戦中戦後、さらには
法然上人・西山上人が生きておられた時代の食事は質素であり、
大変貴重な時間だったのではないかと思います。
また、お釈迦様が最初にされた修行は「苦行」でした。
食事も取られなかったためやせ細り、フラフラになってしまったところを助けられ
差し出されたおかゆを食べて元気を取り戻されました。
お釈迦様が私たちを救ってくださるために悟りを開かれたのは、この後のことです。

お釈迦様と同じように、私たちが元気で充実した生活を送るためには
しっかりとした食事が大切です。
しかし食事ができることを「あたりまえ」と思ってしまうところもあります。

現在の日本では、「ダイエット」で一喜一憂しています。
これはおかしなことではないか?ありとあらゆるおいしいご飯がいっぱい
食べられることがあたりまえという誤った感覚を作り出してしまいました。
それと同時に、食事をいただくことへの「感謝」が
大いに薄れているのではないかと感じます。

私たち僧侶は、修行の1つとして、「五観」という食前の言葉を唱えます。
①食べ物のいのちと、調理した人の苦労と、天地自然の恵みに感謝し
自分のおこなった業の多少を考える
②自分にこの食事を受けるだけの徳があるのかを考え、自分を振り返る
③過ちを離れるには、むさぼり・いかり・おろかさの三毒の煩悩を制御することである
④薬を服用する思いで、この食事をいただく
⑤この食事は仏の道を修めようとするためのものである

檀家さんのお宅へお参りに行くと、年配の方とこんな話をよくします。
「ひざが痛くて正座ができなくて・・・困ったもんだ」
「最近ほんとによく忘れることが多くて・・・ボケが始まったかもしれん」
「何十年も一生懸命仕事をして使ってこられた体ですから、いろいろ悪くなってきますよ」
「でも毎日、おいしいゴハンを食べられているじゃないですか?
それって一番幸せなことだと思いますよ」と。
 
私たちは仏様の功徳に感謝をして手を合わせます。
食事をいただくことも手を合わせて「いただきます」「ごちそうさま」と言います。
毎日の生活にとても大切な、おいしい食事をいただけることに感謝しましょう。


最後に皆様にお伝えしたいことがあります。
日本国内で、食べ残しなどで捨てられる食べ物は、1年間で2千万トン。
世界で飢え、栄養不足に苦しむ人は10億人。
さらに飢えにより1日に2万5千人が死亡し、その多くは5歳以下の子供です。
飢えをなくすのに必要な食料は、1年で700万トン。
日本で捨てられる食べ物で、約3年分まかなえます。
そして日本の食料自給率は39%。
特に私たちの食事に欠かせない小麦と大豆は1ケタです。

私たちは改めて食べられることに「感謝」です。

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