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2006年 4月

 「若者の現状から見えてくるもの」
 先日テレビを見ていたら「細木VSニート50人」という番組をやっていました。
今や時の人となった細木数子さんと、所謂働かないニートの若者50人が
討論し合うという凄い内容で両者白熱の論戦が1時間近く行われており
「こんな企画を考えたプロデューサーも凄いな…」と感じましたが。
細木さんは占い師なので、仏教的な思想とは相反する考えを持つと私自身は
思っていましたが、道徳的観念や倫理的には共通していたり
納得させられたりすることがよくあります。

 細木さんは番組の中で「生き甲斐を見出せず、ただ時間を浪費してゆく
若者達が増えてゆくことは、勿論彼ら自身にも問題があるが
そうさせてきた社会や国にも問題がある。
彼らが自分だけが何とかなれば良い…と将来いい年になった時
きちんとした社会性や経験がないまま年をとっていった時
この国はどうなってしまうのか。
そんなことも考えられないような若者が多いことは、国家としても非常に危機を感じる。」
と述べていました。
 彼女がこれだけメディアに取り上げられ本がバカ売れするのは
占い師としての能力もあるかもしれませんが、何といっても自信と威厳に満ちた
説得力ある言動でしょう。ある意味、法話を勉強する者としては
彼女のトーク術を勉強した方が良いかもしれません。

 しかし彼女の論破はいつも一方的な感じがするので、私と同業の方は
あまり良い印象を持つ方は多くいないでしょう。
それは論理的にも道理が通っているという論破力も去ることながら
常に自分の個性に絶対的な自信を持っている。
裏を返せば、自分の考えは間違っていないという自信にも繋がるので
「何か変だ」と感じることがあってもその論破力で納得させられてしまうことがあります。
彼女のカリスマ的な答弁は、考え方よりもその強い個性にあると考えた方が
良いと思うべきです。人を尊敬する、その考え方に共感することは大切ですが
常に客観的な視点で人をみつめる事も大切です。
完璧な人間など有り得ないのですから。
彼女は人間経験が豊富で説得力ある占い師さんであり、アドバイスしてもらうには
素晴らしいカウンセラーかもしれません。ただ、あくまでカウンセラー。

 話術というものは人を強く共感させる力があります。「確かにその通りだ」と
納得しながらも別の視点から捉えてみることも大切です。
私も法話をさせていただく以上、彼女の足元位の話術が出来るとありがたいです。
そういう意味では大先輩かもしれません。

 さて、細木さんについて話すと今回のテーマが「細木さんについて」に
なってしまいますので話を戻します。
 
 ニートという言葉は、ここ数年で日本人なら誰もが知っている言葉になりましたが
英語の頭文字をとって呼ばれているにも関わらず、外国にこんな言葉はありません。
精神的、社会的に普通の国家なら、生活する為だけでなく自分自身の存在意義として
仕事をして毎日を過ごします。
それこそ昔は貧しい時代でしたし、生きる為に必死でしたから、毎日の生活に追われて
過ごしてきました。だからこそ毎日を一生懸命生きていける喜びや家族、人との繋がりを
知っていたのかもしれません。豊かな生活が出来た人達も、その暮らしは周りの環境や
御先祖のお陰だとちゃんと道徳心を忘れなかったでしょう。

 ところが今日の日本は不景気で格差社会が広がったとはいえ
殆どの人達がまともな暮らしをしてゆけます。
日本は消費大国、家を出て数分のうちにコンビニが軒を連ね
食事や生活物資には事欠かない。そればかりかあらゆる娯楽商品や施設
そしてテレビ、インターネットというほぼ無限大の情報の中で暮らしています。
それらが当たり前に手に入る、というより手に入れられることが当たり前と思っている。

 先ほど述べたように、昔は生きることの大変さとありがたさを知っていましたから
御飯が食べられること、働けること、生きていけることの大切さを
多くの人が感じていたと思います。
私自身、今の時代に育った軟弱人間ですから、偉そうなことは言えません。
食事をするのに釜で火を焚き、水を井戸から汲んできて、行灯で毎日生活することは
多分できないでしょう。しかし本当はその大変な生活の中に
人として学ばなければならない多くのものがあったようには感じます。

 あまりにも物も情報も溢れ出ている現代、便利で快適で生きていく上なら全てが
手に入ると感じている若者達。
いや当たり前であるという感覚すら持ち合わせているかもしれません。
彼らは物と情報の海の中では自分がいったいどんな生き方をしていけばよいのか。
将来、仕事や家庭をどのようにしてゆくか、展望が全く分からないのは
細木さんの言う通り個人的な問題もありますが
便利さと物質的繁栄をひたすら追い求め不便さや素朴な生き方の中にある
大切なものを抹消してきてしまったツケかもしれません。

 私も同世代の人間である以上、このような事を述べるのはおこがましいですが
寺という環境で仕事をさせて頂いている以上、昔からの伝統や考え、そして信仰を
大切に守ってゆく役目があります。そこには教学的なことや宗教的な思想や
文化的な意義など長い歴史の中で人間性を培ってきた場所であるとも感じます。

 今生きている自分を取り巻く環境や考え方、生活とは何か。
我々が文明や経済の発展の上でいったい何を得て何を失ってきたのか。
ニートという言葉が社会現象になった今日多くの人々に改めてその意味を
考えてほしいのと同時に、このような環境で仕事をさせて頂いている以上
お坊さんという職種だけでなく、宗教者として
私個人が深く考え勉強してゆかなければとも感じます。

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