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2015年 6月

今日は皆さんがたった今お唱えになったお念仏についてお話致します。
お念仏と言えば言うまでも無く南無阿弥陀仏の六字の名号ですね。
読んで字の如し阿弥陀如来への帰依を示す言葉となり、私たち浄土宗の聖典
浄土三部経が典拠となっております。ですが、それ以前に成立した
長阿含経という原始経典にもその記述が見られ、仏教の歴史においても
また学術的にも阿弥陀仏への信仰は非常に重要なものとされています。

さて、日本では平安時代に「往生要集」「安養集」「往生拾因」といった書が
研究敷衍し、阿弥陀仏への信仰が広がります。
但し、当時のお念仏というのは僧侶にとって難しい行のひとつでした。
当然のことながら念仏といえば「南無阿弥陀仏」と口で称える口称念仏のことだと
思われるでしょうが、本来の念仏とは観想念仏。
こちらも読んで字の如し仏を観じる行法だったのです。
天台教義では、「朝題目、夕念仏」と言われるように主流の行でしたが
一般の人にはとても行える行法ではありません。
それを覆したのが開祖法然上人となるわけですが、話が長くなるので上人の
思想などについて、はまたの機会にしたいと思います。

ただ、一点。忘れないで欲しいのが上人の打ち出した念仏は「自らの往生のため」です。
死者への鎮魂ではありません。人は皆、愚かで罪深き凡夫であるからこそ
救われるという念仏なのです。自身を深く懺悔し、自覚するからこそ、阿弥陀如来は
人々を救済へと導く仏として我々を極楽へと導いてくれる。
どうか、六字の名号を称える時は、「己が往生するのだ」という心持ちを
抱いて頂きたいと思います。

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