11月・法話

皆様は、「お布施」と聞くと、どのようなイメージを思い浮かべるでしょうか。
おそらく多くの方が、お葬式や法事などで、僧侶に対してのお礼やお寺や神社などへの
お賽銭やお供え物、といったイメージを持たれるのではないでしょうか。
このようにお布施と言われれば、「何かしらの物を相手に与える事」と思われがちですが
本来はそうではなく、お金や物だけではなく「気持ち」や「行動」といった、形の無い物も、
お布施になる、というお話しをさせて頂きます。

以前に学生時代の友人と会って食事をする機会がありました。
最初はいつも通りの何気ない会話だったのですが、急に雰囲気が変わり「実は…」と
暗い表情になって、どうしたのだろうかと思い、話を聞いておりましたがその話というのは
まとめますと、彼が仕事で失敗をして、上司に散々怒られた、という内容です。
私は自分で言うのも「あれ」なのですが「人の不幸を笑ってしまう」という
決して褒められた性格ではありません。もちろん、家族を亡くされたとか
災害に遭われた方に対しては、その様な事はございません。
しかし、「人の失敗談などに対して、ついつい笑ってしまう」、という経験は
皆様にも少なからずあるかと思います。

私の持論ではありますが、「笑える不幸話は笑ってやる」という事も
時には必要な事だと思っております。
誰かに悩みなどを話す時点で、その話を「聞いてほしい」という気持ちが表れています。
そして、中途半端な同情は相手に失礼だと思いますし、また、「次は頑張れ」と言うのも
どこか違うような気がします。ならば、いっその事、思いっきり笑ってやった方が
話した側にも、すっきりしてもらって、気持ちの切り替えもできるのかなと思っております。

その時はここまで深く考えておらず、あまりにも躊躇なく笑ってしまったので
「すまん」と一言謝ろうかと思ったら
彼から「まあ良いや、ありがとう」と礼を言われました。
「なんで?」と聞くと、「話を聞いてくれたから」という一幕でした。
このように話を聞くだけでも、その人に対して何かができる力になれる時があるのです。

私が以前に本山の御法主猊下より、教えて頂いた言葉があります。
「聞く、というお布施」、これを「聞施」と言います。
さて、最近は多くの自然災害が起こっている中で、各地で、ボランティア活動に出て
いらっしゃる方々の姿を、拝見する機会があります。災害ボランティアと言えば
がれき撤去などの肉体労働を第一に思い浮かべる方も多いかもしれません。
しかし、こんなボランティアがあるのをご存知でしょうか。
それは、「傾聴」です。具体的には避難所等で、現地の方のお話を伺う、という活動です。
悩みを持つ人にとって、たとえ解決せずとも、誰かに話を聞いてもらうだけでも
その人にとっては、これ以上無い手助けになる事もあるのです。
簡単にできる事ではありませんが、ただ聞くだけ、ではなく、相手の本音、心の声を
「聴」かせて頂き、寄り添う事ができれば、とても素晴らしい事だと思います。
人付き合いの中で、時には、人の悪口や、余計なうわさ話など、聞きたくない話を
聞かなければならない事もあります。
しかしそれは、相手が自分の事を、「この人になら、話しても大丈夫」と思ってもらえる
信頼の証、とも言えるのではないでしょうか。
大人であれば、「話術」が必要になる時が多くなると思いますが
「聞き上手」という言葉があるくらいに、時には、相手の話を聞く
聞いてあげる事も、大切な事です。
まさに今がその時で、皆様がお耳を傾けてくださっているからこそ
私も気持ち良くお話しができております。
自分の話を聞いてもらえる相手がいるというのは実はかなり有り難い事なのだと
実感しております。
今日のこの場をきっかけに、この「聞施」の輪がお互いに、人から人へ広がっていく事を
願いまして、私の話を終えさせて頂きます。
ありがとうございました。

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10月・法話

皆さん、「心を込めて」と聞いて、どんなことを感じられますか?
お坊さんから言われるとやはりお参りの時に一生懸命手を合わせる
一生懸命その人の事を思う! などでしょうか?

心を込めるって見た目では判断しにくいですね。
私は趣味で沖縄三味線、「三線(さんしん)」をやっておりまして
今年の6月に試験を受けてまいりました。
試験は、琉球民謡協会が執り行うもので沖縄民謡が課題曲となります。
また、試験と言っても、級や段といったものではなく、新人賞 優秀賞 最高賞 と言い
まぁ初級 中級 上級といったところでしょうか。
その最高賞の試験に臨んでまいりました。
試験は沖縄県うるま市にて3日間、最終日が最高賞の試験で
その日の夜7時から会場で閉会式と合格発表がありました。
せっかくの沖縄でしたので二日ほど滞在する予定もあり先生からも
「見ておいた方が良いよ」と言われたので、閉会式に参加していた時に
各賞の審査員の審査基準について順番にお話しされた内容に
とても大事な事を気づかされました。

先ず、新人賞は、「間違えずに弾いて歌えること」小さいながらも300人くらいの
ホールでの演奏ですのでなかなかのものです。
そして、優秀賞 新人賞の条件にプラスで、「聞き手が気持ちよく聞けていること」
最高賞は、新人賞 優秀賞の条件に
「歌の意味を理解して、気持ちを込めて歌い弾けているか。」というものでした。
それを聞いた時に、自分が三線を始めた頃「君の三線はやかましい!」と
言われた事をおもいだし、また、試験の課題曲が、情け唄(悲しみに暮れる唄)で
何度も「悲しそうに聞こえない」と言われた事につながっている事に気が付きました。
自分だけが悲しそうな歌い方に酔っていただけだったんです。
そして、「聞く人を想い三線に触れていなかったんだ!!」と気づかされた瞬間でした。

心を込める、気持ちを込める というのはどんな事にも共通で
相手に伝わってほしい願って初めてこもるものではないでしょうか。
日頃のいろいろな場面で自己満足な思いにならないよう気を付けたいものですね。
偶然ですが、試験練習中、奥さんに悲しそうに聞こえるか聞いてもらいながら
練習したおかげで、合格いたしました。

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6月・法話

今日はクイズを持ってきて参りました。
ただクイズと言っても、皆様の知識を問うものではなく
必要なのは頓智や閃き、どちらかと言えば
なぞなぞの方が近いかもしれません。
もちろん、どなたかに無理やり、当てて答えさせる
という事はしませんので、お気軽に、心の中で
お付き合い頂ければと思います。

では、問題です。
「体の中のある一部分が、悪い人は、元気な人であるのだが
さて、それはどこでしょうか?」
というのが、問題でございます。
悪いところがあるのに、その人は元気であるという、不思議な話ですね。
この話は、以前に私がお参りに伺ったお宅の、ご主人から聞いたものです。
正確には、「○○が悪い人ほど、元気なんだよね。」と
お話しされたのを、今日はクイズとして出題しております。

さて、「一病息災」という言葉は、ご存知でしょうか。
これは、一つぐらい持病がある方が、健康に気を配るので
かえって長生きするという意味です。
しかし、今日はこの一病息災とは違います。先ほども申しましたが
これは、なぞなぞみたいなものですので
ある程度は冗談として聞いて頂けましたら、私も助かります。
それでは、そろそろ答え合わせをしましょう。

正解は、「口」でございます。
いかがでしょうか。私がなぞなぞと言った意味が、「あ~そういう事か。」と
皆様にも伝わっていれば良いのですが。「口が悪い」というのは
体の事ではなく、その人の性格の問題、という事ですね。
解説をしますと、「口が悪い人間ほど、思った事、喋りたい事を
好き勝手に言えてしまう。
つまりストレスを抱え込む事が無いので、元気なのだ。」という話でございます。
皆様の周りにも、口は悪いけど元気だな、という人が少なからず
いらっしゃるのではないでしょうか。
しかし、元気の為だからと言って
「じゃあ悪口をたくさん言いましょう。」というわけにはいきません。

しかし私は、「許される悪口」なら、ある程度は必要な時と場合も
あるのではないか、と考えております。
それは、お互いの、信頼と、愛情の下に成り立つ、悪口です。
例えば、「馬鹿」という言葉は、状況次第でその意味合いが変わってくると思います。
子ども同士の喧嘩などで使う場合と、親や先生が子を叱る時に使う場合とでは
同じく「馬鹿」でも、その中身は全く異なるものだと言えるでしょう。

仏教では、「愛語」という教えがあります。これは文字通り、愛情のある言葉です。
はたから見れば厳しい言葉でも、相手を思いやるが故の
愛のムチである言葉こそ、愛語だと言えるでしょう。

さて最近では、「パワハラ」という言葉が、よくテレビに登場しております。
相手を思いやる愛情がこもっていないと、受けた側はそれをハラスメント
嫌がらせだと、感じ取ってしまうのではないかと思います。

では最後に、同じ言葉でも、愛語と悪口は何が違うのでしょうか。
それは、悪口の「悪」という字は、心が下にあるので、下心のある言葉。
そして愛語の「愛」の字は、心が真ん中にあるので、真心のある言葉です。
本日はありがとうございました。

2019年6月 法話①

4月・法話

今回、「虚空蔵菩薩」という菩薩さまについてお話したいと思います。
まず、なぜ今回「虚空蔵菩薩」という、なかなか聞きなじみのない菩薩さまについて
話すのかというと、私のお寺、与願寺には「虚空蔵堂」というお堂があり
もともと与願寺というお寺は「虚空蔵堂」から始まったと言われていて
気になったので調べてみたので、今回少しお話させていただきます。

「虚空蔵菩薩」という菩薩さまは元々地蔵菩薩、つまりお地蔵さんと対になる
菩薩さまと考えられています。
お地蔵さんは子供たちを見守って下さることから、よく道の途中の小さな祠の中に
いらっしゃいます。
それに対して、虚空蔵菩薩は「なかなか見ない」、又は「聞いたこともない」という方が
多いと思います。先述したように、お地蔵さんは子供たちを守ってくれる菩薩さまです。
それでは、対と考えられている虚空蔵菩薩はどんな菩薩さまなのか。
簡単に言うと、勉強の菩薩さまとなりましょうか。
虚空蔵菩薩の代表的なお参りに、「十三詣り」というものがあります。
これは十三歳になるときに、虚空蔵菩薩にお参りして
智慧を頂きに行くと言われています。
昔の人たちは、大体十二歳から十五歳で元服、いわゆる成人とされてきました。
子供から大人になる時に、虚空蔵菩薩に無事に大人になれましたという
報告と共に、智慧を頂くという意味合いがあります。
では、続いて虚空蔵菩薩のお姿を見てみましょう。
虚空蔵菩薩は右手に宝剣、左手に宝珠を持っています。
仏教での剣は一般的に「智剣」といわれ、「剣を持つ」とは智慧があるということを
表しています。「三人寄れば文殊の知恵」の文殊菩薩も剣を持っています。
右手の剣は智慧、なら左手の宝珠は何かというと
「願いを叶えるための宝物であり道具」と言われています。
虚空蔵菩薩の「虚空蔵」とは「虚空の母胎」つまり、広大無辺の大きさを持つ
数多のものの詰まった蔵を表していると言われているので
この蔵よりそれぞれの人にあった願い
または智慧をこの左手の宝珠を使って叶えていると考えられています。
また、右の掌を見せて下げる「与願印」という形をとることもあります。
私のお寺の名前にもなっていますが、読んで字の通り願いを与える
叶える印となっています。

いろいろとお話しましたが、「虚空蔵菩薩という智慧、いわゆる頭のよくなることを
願ってくれる菩薩さまがいるんだ」ということを少しでも知っていただけたら幸いです。

2019年4月①

2月・法話

二月と言えば節分です。
節分とは季節を分けると実はこの月だけでなく、春、夏、秋、冬ありますが
特に立春の前を一年の始まりと重んじて二月の節分のみ
行事として残ったようです。
節分の行事といえば豆まきですが、元々はあまり仏教とは
関係ない説が有力なようです。
「豆は魔滅に由来する」とか「魔の芽を出さないため煎った豆を使う」と
由縁から豆を用いるというようですが、魔を滅ぼすとか鬼に豆をぶつけて
退散さすという精神でおこなうのは仏教らしくないので
やはり仏教の教義とは異なるものになります。

しかしお寺の行事にお施餓鬼というのがあります、餓鬼という小鬼に
餓鬼米とよばれる米をまいたりさまざまな食物を供えたりして
先祖供養に繋げる行事です。
宗派によっては毎食、ひとくち目は下にまき餓鬼に施す作法があると聞きます。
私的に解釈すると豆まきも豆を投げつけ鬼を退散させるのではく
お施餓鬼のように施すことにより供養する行事とすれば
仏教的見地からも理解出来なくもありません。
鬼は外に追いやるものではなく鬼も己の内とし、みとめ抑え共存していく
鬼と云う己の煩悩も消すのではなく、そんな愚かな私でさえ
許していただける仏の慈悲に、はたと気づかされます。
今年も『福は内、鬼も改心して内』の理念でやっていきたく思います。
合掌