12月・法話

命にかかわるような危険な体験をすることを、「三途の川を渡りかけた」とか
「危うく三途の川を渡るところだった」などと表現することがあります。

三途の川とは皆さまご存知の通り「この世」と「あの世」の境を流れている川のことです。
誰もが聞いたことのある大変有名な川ですが、誰もその存在を証明できませんね。
でも伝え聞くところによると、生前の行いによって川の渡り方が違うらしいのです。
生きているときに、たとえ自分が苦しくとも他人に喜びや楽しみを多く与えた人は
金銀七宝で造られた橋を渡り、それほどでもない人は浅水瀬という浅瀬を渡り
自分の事ばかりで他人から喜びを奪い取り
他人に苦しみを与えた人は強深瀬という辛く苦しい深瀬を渡るとのこと。
三種類の渡り方があるがゆえに「三途の川」というのですね。
いつか渡らねばならない三途の川。どうせなら橋を渡っていきたいですね。

「人が死んだ後に残るのは、得たものではなく人に与えたもの」

①2018年12月

11月・法話

私たちはありがたいことに、毎日おいしい食事をいただくことができます。
ふっくらなお米、季節の新鮮な野菜や果物、柔らかい肉、脂ののった魚・・・
お腹が鳴ってしまいます。

小中学校の同級生と、なつかしい給食の話に花が咲きました。その中で

「今は「三角食べ」って勧めてないんだって。
あれはおかずが少なかった頃のことらしいよ」
「今これをやるとご飯を食べ過ぎてカロリーオーバーになるんだって」

皆さん、「三角食べ」はご存知ですか?
私が小中学生の頃、先生から「三角食べをしなさい!」とよく言われたものです。
今でもその感覚は抜けません。給食といえば、200円少々で栄養バツグンの
優等生な食事のはずなのに・・・時代は変わりました。

しかしおかずはもとより、満足な食事さえできなかった戦中戦後、さらには
法然上人・西山上人が生きておられた時代の食事は質素であり、
大変貴重な時間だったのではないかと思います。
また、お釈迦様が最初にされた修行は「苦行」でした。
食事も取られなかったためやせ細り、フラフラになってしまったところを助けられ
差し出されたおかゆを食べて元気を取り戻されました。
お釈迦様が私たちを救ってくださるために悟りを開かれたのは、この後のことです。

お釈迦様と同じように、私たちが元気で充実した生活を送るためには
しっかりとした食事が大切です。
しかし食事ができることを「あたりまえ」と思ってしまうところもあります。

現在の日本では、「ダイエット」で一喜一憂しています。
これはおかしなことではないか?ありとあらゆるおいしいご飯がいっぱい
食べられることがあたりまえという誤った感覚を作り出してしまいました。
それと同時に、食事をいただくことへの「感謝」が
大いに薄れているのではないかと感じます。

私たち僧侶は、修行の1つとして、「五観」という食前の言葉を唱えます。
①食べ物のいのちと、調理した人の苦労と、天地自然の恵みに感謝し
自分のおこなった業の多少を考える
②自分にこの食事を受けるだけの徳があるのかを考え、自分を振り返る
③過ちを離れるには、むさぼり・いかり・おろかさの三毒の煩悩を制御することである
④薬を服用する思いで、この食事をいただく
⑤この食事は仏の道を修めようとするためのものである

檀家さんのお宅へお参りに行くと、年配の方とこんな話をよくします。
「ひざが痛くて正座ができなくて・・・困ったもんだ」
「最近ほんとによく忘れることが多くて・・・ボケが始まったかもしれん」
「何十年も一生懸命仕事をして使ってこられた体ですから、いろいろ悪くなってきますよ」
「でも毎日、おいしいゴハンを食べられているじゃないですか?
それって一番幸せなことだと思いますよ」と。
 
私たちは仏様の功徳に感謝をして手を合わせます。
食事をいただくことも手を合わせて「いただきます」「ごちそうさま」と言います。
毎日の生活にとても大切な、おいしい食事をいただけることに感謝しましょう。


最後に皆様にお伝えしたいことがあります。
日本国内で、食べ残しなどで捨てられる食べ物は、1年間で2千万トン。
世界で飢え、栄養不足に苦しむ人は10億人。
さらに飢えにより1日に2万5千人が死亡し、その多くは5歳以下の子供です。
飢えをなくすのに必要な食料は、1年で700万トン。
日本で捨てられる食べ物で、約3年分まかなえます。
そして日本の食料自給率は39%。
特に私たちの食事に欠かせない小麦と大豆は1ケタです。

私たちは改めて食べられることに「感謝」です。

10月・法話

今日は簡単に宗教のお話をします。

私たち日本人はご先祖様に感謝し、供養を行い
多くの神さまや仏さまからのご利益を期待しますね。
けれど、世界三分の二の人たちが信仰している宗教は
キリスト教やイスラム教といった一神教の神さまです。
一神教では基本、信仰している唯一の神さまだけを信仰するので
多くの神さまや仏さまを祀り、拝むことは御法度。
私たちからすれば、「なんだか堅苦しいなあ。多くのご加護やご利益があれば
その方がいいじゃないか。どの神さまや仏さまも、ありがたいんだし」
そう思われるかもしれませんが、一神教の信者さんにとっては唯一
自分が信じる神さまのみの教えを守ることが、何よりも大切なのです。
言い換えれば、神さまの命令を守ることのみが信仰なので
私たちのように神さまに「願いを叶えて下さい」とお願いするなど
とんでもない罰当たりな行為になります。

なかなか理解できないかもしれませんが、そういった厳格な教義だからこそ哲学
や法律、自然科学といった学問が進み、近代文明が開花していったのも事実。
今から約百五十年ほど前、私たちもその近代文明を取り入れ、今の生活や社会
に繋がっています。

報恩謝徳という言葉がありますが、よくよく調べてみると自分たちの宗教だけ
ではなく、他の宗教からも恩恵を頂いているという背景が見えてきますね。
確かに宗教は争いとしても根深い問題を孕んでいますが、信仰心を持つ者と
して、他の宗教を信仰するひとたちへの敬意を大切にしたいものです。

2018年10月①

9月・法話

今年は記録的な、災害級とも呼ばれる暑い夏となりました。
また、暑さの影響で豪雨が起こりやすく、大雨の被害も続きました。
一昔前とは季節の感じ方も変わってきた気がします。
とはいえ、暦はすでに秋に入り、お彼岸が近づいてきました。
お彼岸のお中日は秋分の日ですので、太陽が真東から出て
真西に沈みます。阿弥陀如来ははるか西の極楽浄土にいらっしゃるため
この日の夕日に向かうことで阿弥陀様に心を向けて拝むことができます。

日本の祝日に関する法律でも、秋分の日は
「祖先をうやまい、なくなった人々をしのぶ。」とあります。
私たちは、ご先祖様や亡くなった方々に直接何かを及ぼすことはできません。
しかし私たちは、この体はもちろん、言葉や思い、教えなどご先祖様や
お世話になった方々からいただいたもののおかげで今を生きることができています。
そんな私たちにできることは感謝の心を込めて手を合わせることぐらいでは
ないでしょうか。
暑さ寒さも彼岸まで・・暑さの落ち着くお彼岸にお墓参りに出かけましょう。

7月・法話

父母や祖霊を供養したり、亡き人を偲び仏法に遇う縁とする行事として
お盆の時期、実家に帰省して、先祖にお参りされる方も多いと思います。

お盆の時、あるお家のほうにお参りに行きますと、小さなお孫さんが
大きな声で泣いておりました。
お昼寝ぐらいの時間でしたので
「眠たいときにごめんなさいね」と申しますと、
そのお孫さんのおばあさんが笑顔で
「仏壇にお供えしてあるお菓子が食べたくて泣いているんですよ。
お経が終わるまでお預けしているだけなんですよ。」
とおっしゃられたので、すぐにお経を読み始めて、そして終わりますと
お孫さんがお供えしてあったお菓子を手に取り
「亡くなったおじいちゃん、ありがとう」と言って
うれしそうに食べている姿を見て心があらわれる出来事でした。

そのお孫さんの笑顔に出会たことこそが本当のおじいちゃんの供養であるなぁ
あらためて、当たり前であることが有り難いのだと。