スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

7月・法話

皆さんは、食事の前に「いただきます」の挨拶をしますか?
私は自宅で食事をする時は言いますが、外食時は恥ずかしくて
小さな声でさりげなく…。なんてこともあります。
私のお寺では年に3回、近所や檀家さんの子どもたちが集まる
子ども会を開催しています。
本堂でのお経のお稽古や境内でゲームをして遊びます。
お昼ご飯には、前日から準備したカレーライスを振る舞うのですが
食べる前に「食前の言葉」を唱えます。

「天地一切のみ恵により。今この食を受く。食の由来をたずねて。
味の濃淡を問わず。謹んでこれを造られた人々の御苦労に感謝をいたします。
いただきます。南無阿弥陀仏」と。
 
この言葉には、「食材となった様々な命と食事ができるまでに関わった人々の
存在を認識し、感謝していただきます」という意味が込められています。

私たちは食べることで生命を維持していますが
その食べている動物や植物たちにも命があります。
また食事ができるまでには、食材を作った人や調理をした人など
多くの人たちが関わっています。
食事ができるのは当たり前でなく
尊い命とたくさんの人の力のおかげによって成り立っているのです。
 
子ども会に何度も参加してくれているある子が、この食前の言葉を
学校の給食時間の前に唱えているそうです。
子どもにできて、教えている当の本人ができていないとは…。
まだまだ修行が足りません。
スポンサーサイト

6月・法話

よくこんなことを聞かれます。
「法事はやったほうがよいでしょうか・・・?」や
「やらなければいけないんですか?」と。
私が「やらないかんのか?と思うならやめましょう!」というと
必ずビックリされて、「いや、そんなわけには・・・」と言われます。
おそらく皆さんやった方がよいことは分かっていらっしゃるんです。
 
さて、法事は何のためにやるのでしょうか?
もちろん、故人を弔い功徳を向けて供養することです。
しかしそれだけではなく、なかなか集まることのない身内が集まることで
より多くの方の功徳と、故人によって繋がれた多くの御縁の絆に
感謝させていただく心もお供えする事でより多くの功徳を向けられるのです。

皆さんがこれまで積んでこられた功徳を法事の席で
個人に向けていただくことを回向と言います。
回向とは他人の為に善行を回し向ける事。
故人を弔い、故人に代わってお経をあげてあげることで、自分の善行をも重ねる。
人の為にした行いが回りまわっていつか自分に返ってくるのです。

ですので、法事は「させていただく。お経をあげてあげたい。」の
謙虚な気持ちでお参りすることが大切で、故人の為、皆の為、家族の為を
思いお参りしていただければと思います。

2017年6月②

5月・法話

桜も終わり、やっと過ごしやすい日々になりました。
これだけでも有難いなぁと感じるのは、不思議なものです。

世の中はゴールデンウイークでどこか行こうか計画している人も多いと思います。
私の住んでいる所では、この時期に町内の祭りがあります。
山車(だし)も出るので毎年ゴールデンウイークどころではないです。
準備、当日の祭り、後片付けと何かと人手がいるもで
当然、町内の中には『もうやめようや』と不平不満が出できております。
何とか続けて行けるようと昔ながらのやり方ではなく
山車を引くのを一年ごとにして、引かない年は、飾り付けをした
山車見てもらうと形も変えて続けております。
これも、自分の先祖が残してきたものして町内の人々の胸の中に
生き続けておるからこそやり続けているんだと感じております。

この世は、諸行無常であり、生まれた者は死んでいくが百年二百年と
後世の胸の中に生き続ける こんな生き方をしたいものです。

4月・法話

本日は「おみくじ(御神籤)」に関する話でございます。
100%とは言えませんが、大人であればほとんどの方が
一度はどこかでおみくじを引いた事があるかと思います。
その結果に一喜一憂したり、日頃の生活の教えや参考にしたりと
くじを引かれた多くの方々が、そのような経験をされたのではないでしょうか。

さて、おみくじにおきまして、「凶」を引かれた事のある方は、おられますか。
私も今までに何度かおみくじを引いてまいりましたが
一度も「凶」に巡り合った事はございません。
以前に学校の先生が
「そんなものは、引いた人が悲しむから、最初から入っていないだろう。」と
話していたのを覚えています。確かに場所によっては、そうなのかもしれません。

しかし先日、お参りに伺ったお宅のご主人が、「前に凶を引いた事があるぞ。」と
話されました。「やっぱりある所にはあるものだ。」と思っていたところ
そのご主人のお話がとても心に残りました。
「確かに最初は落ち込んだが、考えてみればこれは良い事なのかもしれん。」
「なぜでしょうか?」
「私がこの凶を引いたという事は、他の誰かが引く運命であったかもしれないものを
私が代わりに引いてあげた。つまりその人に嫌な思いをさせずに済んだ。
これは良い事をした、と言えないだろうか。」
「言われてみればその通りですね。」
「それにあの時凶を引いた事で、それまでの自分に、どこか悪い所があったのか
少しだけだが考えるきっかけにもなったわ。」
見方を変えるだけで一つの「凶」をこのような形で捉える事は
自分ではなかなか出来ないだろうなと、大変勉強になりました。

我々のご本山、永観堂禅林寺の御本尊、みかえり阿弥陀様は
お顔を左に向けておられます。
このお姿には、「思いやりを持って周りを見つめる」姿勢と
「自分自身を省(かえり)みる」姿勢を表しておられます。
口で言うのは簡単ですが、実際に行うのは難しい事かもしれませんね。
一つの「凶」で、自らを省みる。「凶」は決して悪いものではない。
もしいずれ機会が訪れましたら、悲観的にならず、この話を思い出してみたいものです。
しかし、そうは言っても、せっかくの本日のご縁、皆様にとって
「吉日」となりましたなら、私も幸いでございます。

201704howa.jpg

3月・法話

暑さ寒さも彼岸まで、とはよく耳にする言葉ですが昔の人たちはよく言ったもので
実際に彼岸を境にして季節の変化が顕著となってゆきます。
特に春の彼岸は長く厳しかった冬が終わり、暖かさを肌身で感じられる時期。
同時に草木が芽吹き、冬の間、土に潜っていた小動物たちも顔を出し始める
季節ともなります。

本来、彼岸という言葉は涅槃に至る。つまり、この世での迷いを断ち切った
という意味合いで使われる仏教用語なのですが、日本では上記のように季節の
変わり目として用いられ、彼岸会など仏事として行われるようになりました。
四季の変化が顕著なこの国では、それに合わせて草木や動物たちといった
生きとし生けるものの転変を無意識のうちに感じることから
日本人独特の無常観が培われていったのです。

ようやく寒さから解放されるこの時期、庭や公園などを観察してみては如何でしょう。
新しい命の誕生を目にすることができるかもしれません
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。