5月・法話

最近よく仏教やお寺をテーマとした番組をテレビで見かけるようになりました。

先日とある番組で『プロジェクションマッピング法要』なるものが紹介されていました。
映画やディズニーランドなどのイベントさながらの音楽と映像の中でお坊さんが
法要を営むというものでした。
とても幻想的な芸術パフォーマンスです。
ITに長けたご住職が最新技術(デジタル)と仏教(アナログ)を融合され
とにかく退屈な法要を少しでも楽しくわかりやすく伝えたいというものが
コンセプトだそうで私も見てその革新的かつ新進気鋭な迫力に
ただただ圧倒されていました。
うちの法事でもそうですが時折、気持ちよく居眠りされる方がありますが(笑)
この法要ならこのIT住職がおっしゃるように退屈されること無く、終始皆さんの心を
つかんで離さないだろうなと思ってしまいました。
確かにいま特に若い世代のお寺離れが危惧されています。
何しろお寺は固い、難しい、取っ付きにくい、法要も退屈でつまらないって
イメージある人多いですからね。
しかし思えば仏教というものは本来日常で使っている
「醍醐味」「有頂天」「玄関」「油断大敵」とういうような仏教由来の言語のように
常に日本人の傍に気付かなくてもあるものです。
お彼岸やお盆、除夜の鐘のような法要だってそうです。
言うなればいつも我々に寄り添っていただけているという気付きがあるかが大事で
先の衝撃的な芸術パフォーマンスもよし、熟練僧侶の佇まいにはっとされてもよし
まず仏教に関心持ち意識してみる。
それによって仏教が阿弥陀様は常に寄り添っておられることへの気付く、そして
その『気づき』こそ我々の日常を少しでも豊かにしていただけるのではないでしょうか。
それこそが阿弥陀様の本願のほか、ありません。
いろいろな方法で『気づき』見つけてみませんか。  合掌

PS.個人的にはプロジェクションマッピング法要、一度実際に観てみたいです。

4月・法話

皆様、こんにちは。新年度を迎え、暖かくなってきましたので
どこかへお出かけになる機会も増えてくるかと思います。
しかし、ただ外に出るだけでは、「何のために行くのか。」と
考えてしまうものですから、せっかくなら、何か目的を持って
外出するに越した事は無いでしょう。

「そんな事を言われても、何をすれば…」と思われた方には
「色々なお寺の御朱印集め」など、いかがでしょうか。
私は、御朱印には深い思い出がございます。
以前に母方の祖母が、「亡くなったお爺ちゃんが果たせなかった
西国三十三箇所巡りの、残りの朱印を揃えたい。」と言われたので祖母と
私と両親で、その中のいくつかのお寺を回ることになりました。
さて、御朱印を頂く為にお参りする中で、このように言っては失礼なのですが
楽に参拝できるお寺もあれば
長い石段を登っていかなければならないお寺もございます。
「さすがにここはお婆ちゃんでは無理だろう…。」という所は私と父親で
御朱印を頂きに参りました。
道中、段々と疲れてくるものですが、先にお参りされて降りてこられる方と
すれ違う時には、不思議と、自然に挨拶が交わされたり
「あと少しだから頑張って」と、声をかけられたりする時もありました。
正に一期一会のご縁、このような経験は
なかなかできるものではないなと、今になって感じております。
また、当時私は小学生、父親からは、「大丈夫か?まだ行けるか?」と
良く声をかけてもらいました。

前に進みながらも後ろの私を心配するその姿は
永観堂禅林寺の御本尊みかえり阿弥陀様のようであったと
これも、今になって、とうやく理解できた次第でございます。
無事に御朱印を頂き、下山して祖母に見せて感謝された時は
自分も嬉しい気持ちになりました。もちろん、お駄賃も頂きました(笑)。
しかし、お金よりも「この思い出」こそが、何よりのお駄賃だったのでは
と今ではそう思っております。

以前に学校の先生から、「旅の一番のお土産は、物ではなく、土産話である」と
言われた事があります。
また、「帰るまでが遠足」という言葉も、多くの方が、一度は耳にされたことが
あるかと思います。思い出を誰かに話すことで
感動の輪が広がることにつながるのが、理想の形ではないでしょうか。

さて、御朱印というのは、いわゆる「京都や奈良の有名なご寺院」だけではなく
皆様の地元のお寺さんでも、お願いすれば、頂けるところも多くございますので
新しい出会いや、思い出作りに、いかがでしょうか。
本日はありがとうございました。

2018年4月①

3月・法話

この前、約一ヶ月冬季オリンピックが行われました。
最初は、「やってるんだ」と思う程度でしたが
日本がメダルラッシュともに私の心も釘付け
自分の事のように喜び合えるスポーツの力を改めて感じた次第です。
四年に一回のオリンピック。
凝縮された人生と同じであります。
色々な苦難を日々繰り返しながら前に進んで行くものです。
この世は無常であるからこそちょっとしたことで喜び合い、感動し合うことが
できるのです。
日々懸命に自分の道を歩むことの大事さを教えられた気がします。

12月・法話

今年も残り少なくなってまいりました。
振り返ると皆様それぞれいろいろなことがあったかと思いますが
今この時平穏で過ごせることが幸せかもしれません。
とはいえ、やはり健康で充実した日々を送れるよう願いたいものです。
そのためには、心をいかに豊かにそして温かく持ち続けるか・・・
医学的にもよく言われることでもあります。

仏教では、このような心を得るために
「他の人のために行動する」暮らし方を日々心がけましょう
と導びかれています。これを『利他』と呼んでいます。
利他はよくこのような使い方をします。皆さんは心当たりはあるでしょうか。

「自利利他」・・・自らの幸せを求めつつ、他の人の幸せを願う。
「忘己利他」・・・自らの幸せを差し置いて、他の人の幸せを願う。

忘己利他はそう簡単に実践できることではありませんが・・・
利他は、言葉を置き換えると、「施す」ことになります。
身近なところですと、私たち僧侶がいただくお礼を「お布施」と言います。
昔々、僧侶は信者の方々からいただいた布キレを縫い合わせた衣を着ていたことに
由来すると言われていますが、この他にも、施(せ)の前に一文字加えると
他の人のために行動できる様々な「施し」ができるのではないでしょうか。

財施(寄付)
眼施(優しい眼差しを向ける)
身施(手を貸す、助ける)
聞施(悩んでいる人の話を聞く)・・・

他に思いつくものはありますか?
難しくはないはずです。私たちが少しだけ行動を起こせば
お互いに心が豊かに温かくなれると思います。
そんな暮らしを心がけると、今年も充実して締めくくることができ
気持ち良く新年を迎えられそうですね。

11月・法話

今年は十月四日が十五夜・中秋の名月でございます。
中秋の名月というと九月のイメージがあったのですが
旧暦の八月十五日ということで、十月になることもあるようですね。
また、中秋の名月といえば真ん丸お月様、満月だとばかり思っていましたが
必ずしもそうではないようです。
恥ずかしながらこの度初めて知りました。皆様ご覧になりましたでしょうか。
私は四日の夜、所用を終え大阪から愛知へ帰る途中、山間の高速道路を
走っていた時、お月様が目に入りました。
あたりはほとんど照明のない真っ暗闇、見えているのは道路だけ
というような場所。そんな場所で優しく光っているお月様がありました。
周りが真っ暗闇であることによって、普段より一層お月様の光を感じました。
帰り道をずー っとついてきてくれるようにも見えます。
高速道路で脇見運転ならぬ見上げ運転ですが…。

周りを優しく照らすお月様、ついてくるお月様。仏教の開祖、お釈迦様が
残された言葉にこのような言葉がございます。

「人が行くこと百里千里であっても、月は常にその人に従う。
月はまたすべての上に現れる。町にも、村にも、山にも、川にも、池の中にも
かめの中にも、葉末の露にも現れる。月そのものに変わりはないが
月を見る人によって月は異なる。仏もまたそのように、世の人々に従って
限りない姿を示すが、仏は永遠に存在して変わることがない。」

仏さまって何ということの一つの答えが語られています。
仏さまはお月様の様に、分け隔てなく私たち一人ひとりを照らして下さり
いつも私たちと共にあってくれるのです。
そしてそのあり方は様々で、時には風が、時には音が
もしかしたら今隣にいる人が仏さまであるかもしれません。
仏さまを身近に感じられた時、一人じゃない、そう思えるはずです。

中秋の名月は過ぎましたが、益々空気が澄んでいくこれからの季節
お月様を眺めながら、仏さまを心に思い浮かべてみてはいかがでしょうか。

老人クラブ法話  2017年10月