平成31年度・総会

毎年恒例の年度初総会を開催しました。
事業報告、会計報告のほか、今年度の事業計画について
各会員で意見を交換。
結果、各分野で活躍されているご自坊を訪問してみる
という企画になりました。
今年度も様々な経験を積んで研鑽を重ねてゆきたいと
思いますので、今後とも東国青年会を宜しくお願いします。

平成31年4月総会①

4月・法話

今回、「虚空蔵菩薩」という菩薩さまについてお話したいと思います。
まず、なぜ今回「虚空蔵菩薩」という、なかなか聞きなじみのない菩薩さまについて
話すのかというと、私のお寺、与願寺には「虚空蔵堂」というお堂があり
もともと与願寺というお寺は「虚空蔵堂」から始まったと言われていて
気になったので調べてみたので、今回少しお話させていただきます。

「虚空蔵菩薩」という菩薩さまは元々地蔵菩薩、つまりお地蔵さんと対になる
菩薩さまと考えられています。
お地蔵さんは子供たちを見守って下さることから、よく道の途中の小さな祠の中に
いらっしゃいます。
それに対して、虚空蔵菩薩は「なかなか見ない」、又は「聞いたこともない」という方が
多いと思います。先述したように、お地蔵さんは子供たちを守ってくれる菩薩さまです。
それでは、対と考えられている虚空蔵菩薩はどんな菩薩さまなのか。
簡単に言うと、勉強の菩薩さまとなりましょうか。
虚空蔵菩薩の代表的なお参りに、「十三詣り」というものがあります。
これは十三歳になるときに、虚空蔵菩薩にお参りして
智慧を頂きに行くと言われています。
昔の人たちは、大体十二歳から十五歳で元服、いわゆる成人とされてきました。
子供から大人になる時に、虚空蔵菩薩に無事に大人になれましたという
報告と共に、智慧を頂くという意味合いがあります。
では、続いて虚空蔵菩薩のお姿を見てみましょう。
虚空蔵菩薩は右手に宝剣、左手に宝珠を持っています。
仏教での剣は一般的に「智剣」といわれ、「剣を持つ」とは智慧があるということを
表しています。「三人寄れば文殊の知恵」の文殊菩薩も剣を持っています。
右手の剣は智慧、なら左手の宝珠は何かというと
「願いを叶えるための宝物であり道具」と言われています。
虚空蔵菩薩の「虚空蔵」とは「虚空の母胎」つまり、広大無辺の大きさを持つ
数多のものの詰まった蔵を表していると言われているので
この蔵よりそれぞれの人にあった願い
または智慧をこの左手の宝珠を使って叶えていると考えられています。
また、右の掌を見せて下げる「与願印」という形をとることもあります。
私のお寺の名前にもなっていますが、読んで字の通り願いを与える
叶える印となっています。

いろいろとお話しましたが、「虚空蔵菩薩という智慧、いわゆる頭のよくなることを
願ってくれる菩薩さまがいるんだ」ということを少しでも知っていただけたら幸いです。

2019年4月①

平成三十年度・研修旅行

二月二十四日~二月二十五日に、三重県伊勢市にて東国青年僧の
研修旅行が開催されました。
夕方に自坊の大林寺にお越しいただきました。
法楽一会の後、住職からお話をいただきました。
伊勢市古市町は日本の三大遊郭と言われていました。
お伊勢参りが盛んだった当時はとても賑わっていたそうです。
境内には歌舞伎狂言「伊勢音頭恋寝刀」として今に伝えられている
遊郭「油屋」で起きた刀傷沙汰「油屋騒動」の「比翼塚」が建ち
供養されています。
また、伊勢は廃仏毀釈がとても激しかったようで
お寺はほとんどなくなってしまったようです。
その数、百ヶ寺以上のお寺がなくなったそうです。
伊勢と大林寺の歴史などについてのお話は私自身も改めて勉強になりました。
私は所用のため、二日目は欠席させていただきました。

二日目は鳥羽市の石神神社の見学に行きました。
拝観される方がとても多いスポットです。
今回の研修旅行を通じて、私はこの一年間参加は少なかったですが
活動に参加したいと考えています。最後になりましたが
はるばる遠方から皆さまお越しいただきありがとうございました。
三重県の青年会員は少ないですが今後は宗派のためにも
お力になれるよう精進していきます。
皆さまありがとうございました。

201902月研修旅行

2月・法話

二月と言えば節分です。
節分とは季節を分けると実はこの月だけでなく、春、夏、秋、冬ありますが
特に立春の前を一年の始まりと重んじて二月の節分のみ
行事として残ったようです。
節分の行事といえば豆まきですが、元々はあまり仏教とは
関係ない説が有力なようです。
「豆は魔滅に由来する」とか「魔の芽を出さないため煎った豆を使う」と
由縁から豆を用いるというようですが、魔を滅ぼすとか鬼に豆をぶつけて
退散さすという精神でおこなうのは仏教らしくないので
やはり仏教の教義とは異なるものになります。

しかしお寺の行事にお施餓鬼というのがあります、餓鬼という小鬼に
餓鬼米とよばれる米をまいたりさまざまな食物を供えたりして
先祖供養に繋げる行事です。
宗派によっては毎食、ひとくち目は下にまき餓鬼に施す作法があると聞きます。
私的に解釈すると豆まきも豆を投げつけ鬼を退散させるのではく
お施餓鬼のように施すことにより供養する行事とすれば
仏教的見地からも理解出来なくもありません。
鬼は外に追いやるものではなく鬼も己の内とし、みとめ抑え共存していく
鬼と云う己の煩悩も消すのではなく、そんな愚かな私でさえ
許していただける仏の慈悲に、はたと気づかされます。
今年も『福は内、鬼も改心して内』の理念でやっていきたく思います。
合掌

1月・法話

お念仏の話です。
皆さまは、自宅のお仏壇にお参りする際はお念仏を唱えるかと思います。
お念仏は宗派によって唱える文言が異なりますが
我が宗派では「南無阿弥陀仏」と唱えています。
ですが、この南無阿弥陀仏の意味って皆さんご存知ですか?

阿弥陀様がまだ菩薩のとき衆生を救う誓いを立てました。
それは、「南無阿弥陀仏と唱える一切の衆生を摂取して捨てたまわず。
(私の名を唱える者は一人残さずお浄土へお救いします。)」という
約束されたお言葉です。
この誓いを立てられて阿弥陀様になられました。
南無阿弥陀仏の阿弥陀仏は仏様のお名前ですが
南無という言葉には、~に帰依します、お慕いします、という意味合いがあります。
ですので、お念仏は弔いの言葉と共に阿弥陀様がきちんと聞いていらっしゃって
お浄土へ行く切符を皆さまは知らず知らずのうちに手にしているのです