9月・例会

岡崎にあります浄土真宗本願寺派のご自房にお伺いし
キッズサンガ(子ども会/寺子屋)についての研修会を行いました。
副住職さんから、本願寺派より出版されている資料の説明と
実際に行っている子ども向けの教化活動をご紹介いただきました。

私は今回、子ども会の運営方法を聞きたいと思い参加したのですが
運営そのものよりも何を子ども達に持って帰ってもらいたいかという
目的・使命が重要であり、そして、大々的に開催しなくても
寺族だけで運営し、定期的に長く続けていくことが何より大切であることを
教えていただきました。
ご自房で開催している3日間のサマースクールも参考になりましたが
入園・入学のお祝いとして行っている「初参式」が印象的でした。
この式は、入学シーズン前の3月末の土曜日に、家族が揃って寺に参り
子どもに数珠と袈裟が授与されます。
サマースクールで楽しくというのも勿論、寺や仏教への入り口ということでは
素晴らしい活動ではありますが、やはり、寺は手を合わせる尊い場所であり
自分用の袈裟をいただくことで1人の仏教徒としての自覚が
子どもなりに芽生えるのではないかと思いました。

また、普段じっくり見ることのない本願寺派の本堂荘厳を詳しく説明いただき
他宗派を会所にお借りするのも有意義なことであると感じました。

平成29年9月例会③

平成29年9月例会①

京都青年会との交歓会

10月5日、名古屋にて、本年度の京都・東国両青年会による交歓会が
開催されました。両会より7名ずつ、総勢14名の会員の皆様にご参加を頂きました。

まずはラウンドワンで、ダーツとバスケットのフリースローによる個人での
対抗戦を行いました。
ダーツでは、京都青年会の会員が実力を発揮し、堂々の一位に。
フリースローでは、東国の会長がバスケットボール経験者ということもあり
相応しい美しいフォームから繰り出されるシュートで次々にリングを捉え、二位。
余計な力を入れずに、「左手は添えるだけ…」という、「あの名将」の教えが
現れておりました。
また、会員の中には、基本のワンハンドシュートではなく、両手で持ち
下から投げる、「あの主人公」のスタイルで、ゴールを決める方もいらっしゃいました。

その後は懇親会場に移動し、京都青年会の会長による乾杯の音頭で始まり
お互いの親睦を深めました。

今回は参加者全員に景品が渡されました。
買い出しの時から悩みに悩んで当日の結果発表まで不安が残っておりましたが
皆様から大いに盛り上げて頂き、嬉しい限りでございました。
また、北の銘酒「国士無双」を飲んで、次なる戦いに備えたのでありました(笑)。

矢を投げ、ボールを投げ、そして何よりも大切な、お互いの熱い言葉を投げかけ合い
最後に東国の会長よりご挨拶を頂き、交歓会は無事に幕を閉じました。
ご参加された皆様方、誠にありがとうございました。
この素晴らしい会を今後も続けていき、更には、より多くの、特に若い会員の方々に
気楽にお顔を出して頂ければと存じます。

9月・法話

九月と言えば「お彼岸」です。三週目の連休には、お墓参り出かける方も多いでしょう。
では、そもそもお彼岸の由来は何処にあるのでしょうか。
彼岸という言葉自体は岸に至るという訳ですが、仏教の意味ですと煩悩を克服して
涅槃の境地に至るということになります。
但し、さらに原語まで遡って調べてみますと
「宗教的な智によって迷いを超克してゆくこと」と、当時のインドでは
仏教以外(バラモン教)の宗派でも理想的な概念として扱われていたようです。

さて、このように長い歴史を持つ彼岸ですが、日本では律令時代に伝わり
平安期には朝廷を中心として儀式として用いられるようになり
江戸期には年中行事として民衆に定着しました。
今では先祖供養として、また四季流転するこの国においては特に季節の変わり目を
実感できる行事でもあります。
このように日本では供養を中心として親しまれていますが、本来は迷いを取り除き
悟りの境地へと近づく高尚な概念。
我々の宗派においては聖典「観無量寿経」の
日想観に説かれる(春と秋に西方の弥陀を観じる)観法のひとつともされています。
先祖の供養と共に我々凡夫の真の命は弥陀の本願力によって救われてゆく……。
そう実感して頂ければ、何よりだと思います。

8月はお休み

盆期間中となりますので、今月の例会及び法話はお休みさせて頂きます。

7月・法話

皆さんは、食事の前に「いただきます」の挨拶をしますか?
私は自宅で食事をする時は言いますが、外食時は恥ずかしくて
小さな声でさりげなく…。なんてこともあります。
私のお寺では年に3回、近所や檀家さんの子どもたちが集まる
子ども会を開催しています。
本堂でのお経のお稽古や境内でゲームをして遊びます。
お昼ご飯には、前日から準備したカレーライスを振る舞うのですが
食べる前に「食前の言葉」を唱えます。

「天地一切のみ恵により。今この食を受く。食の由来をたずねて。
味の濃淡を問わず。謹んでこれを造られた人々の御苦労に感謝をいたします。
いただきます。南無阿弥陀仏」と。
 
この言葉には、「食材となった様々な命と食事ができるまでに関わった人々の
存在を認識し、感謝していただきます」という意味が込められています。

私たちは食べることで生命を維持していますが
その食べている動物や植物たちにも命があります。
また食事ができるまでには、食材を作った人や調理をした人など
多くの人たちが関わっています。
食事ができるのは当たり前でなく
尊い命とたくさんの人の力のおかげによって成り立っているのです。
 
子ども会に何度も参加してくれているある子が、この食前の言葉を
学校の給食時間の前に唱えているそうです。
子どもにできて、教えている当の本人ができていないとは…。
まだまだ修行が足りません。