4月・年度初総会
総会報告
令和5年4月4日
実に数年ぶりとなる自坊・一宮での青年会。前会長の卒会に伴い、新体制でのスタートです。過去の会報を読み返したら、なんと平成29年。あの時、まさか自分が会長になるとは…。しかし、いつの間にか自身の青年会在籍年数が、卒会までの残りの年数を上回っている事に気付き、もうそんな時期になったのかと、驚きを隠せません。総会を終え、書類など色々と準備が必要になり、今までの自分が、どれだけ先輩方に甘えていたかを痛感しています。
自分を迎えて頂いた歓送迎会から、早12年が経ちました。あの時とは何もかもが変化した今年度は、東国青年会発足50周年の記念の年になります。徐々にではありますが、新しい会員も顔を出してくれています。今度は自分が先輩として恥ずかしくない様に、もちろん、私一人でできる事など微々たるものですので、会員の皆様に助けられながら、活動していきたいと思います。

令和5年4月4日
実に数年ぶりとなる自坊・一宮での青年会。前会長の卒会に伴い、新体制でのスタートです。過去の会報を読み返したら、なんと平成29年。あの時、まさか自分が会長になるとは…。しかし、いつの間にか自身の青年会在籍年数が、卒会までの残りの年数を上回っている事に気付き、もうそんな時期になったのかと、驚きを隠せません。総会を終え、書類など色々と準備が必要になり、今までの自分が、どれだけ先輩方に甘えていたかを痛感しています。
自分を迎えて頂いた歓送迎会から、早12年が経ちました。あの時とは何もかもが変化した今年度は、東国青年会発足50周年の記念の年になります。徐々にではありますが、新しい会員も顔を出してくれています。今度は自分が先輩として恥ずかしくない様に、もちろん、私一人でできる事など微々たるものですので、会員の皆様に助けられながら、活動していきたいと思います。

3月・法話
私は普段幼稚園に勤めております。3月は卒業式のある巣立ちの季節であり、入園したての時期はお母さんとなかなか離れることの出来なかった子が、ステージの上で立派に卒園のお歌を歌っている姿を見ると非常に感慨深くなります。
普段子どもと関わっていますと、子どもは本当に素直です。もちろんいい意味でもあるのですが、お友達と喧嘩した際に自分は悪くないと言い張ったり、面白いと思ってお友達に意地悪をしたり、見つかって注意されると都合のいいように嘘をついて自分を守ろうとします。そんな姿を見ていると、自己中心性というのは人間の本質なんだなと思います。
もちろんこれは子どもに限ったことではなく、大人も自分の都合のいいように行動してしまったり、相手を傷つけてしまうことが多々あります。
子どもが素直だなと思うことがもう一つあります。自分が悪かったと気づいたとき、素
直に謝ることができます。大人になるとなかなか素直に謝ることができないときがあります。そんな子どもの柔軟さを見習いたいなと常々思います。
普段子どもと関わっていますと、子どもは本当に素直です。もちろんいい意味でもあるのですが、お友達と喧嘩した際に自分は悪くないと言い張ったり、面白いと思ってお友達に意地悪をしたり、見つかって注意されると都合のいいように嘘をついて自分を守ろうとします。そんな姿を見ていると、自己中心性というのは人間の本質なんだなと思います。
もちろんこれは子どもに限ったことではなく、大人も自分の都合のいいように行動してしまったり、相手を傷つけてしまうことが多々あります。
子どもが素直だなと思うことがもう一つあります。自分が悪かったと気づいたとき、素
直に謝ることができます。大人になるとなかなか素直に謝ることができないときがあります。そんな子どもの柔軟さを見習いたいなと常々思います。
2月・法話
佛教では、私の身体と心そのものに固執するが故に苦しみが生まれてくると説いています。本来、身心の活動そのものが穢れているわけではなく、絶え間ない外部からの刺激にさらされることにより執着が起こり、苦しみが生まれるのです。
人間の身体は長らく脳が全てを判断し、神経を通じて全身の筋肉や臓器を動かすとされてきました。ところが最近では、腎臓なら腎臓、肝臓なら肝臓が脳の指令に頼らず、自身の機能として体調に合わせてホルモンを増減させて健康を維持していることがわかってきました。それぞれが己の役割を果たし、和合しあって私の身体を護っているのです。
ただ、放っておくと必要以上の負荷がかかり、ストレスが溜まることで体調を崩してしまいます。時折、立ち止まって身中の声に耳を傾けることが大切です。
人間の身体は長らく脳が全てを判断し、神経を通じて全身の筋肉や臓器を動かすとされてきました。ところが最近では、腎臓なら腎臓、肝臓なら肝臓が脳の指令に頼らず、自身の機能として体調に合わせてホルモンを増減させて健康を維持していることがわかってきました。それぞれが己の役割を果たし、和合しあって私の身体を護っているのです。
ただ、放っておくと必要以上の負荷がかかり、ストレスが溜まることで体調を崩してしまいます。時折、立ち止まって身中の声に耳を傾けることが大切です。
1月・例会 寒行托鉢
この冬一番の冷え込みとなった1月25日(水)に3年振りとなる寒行托鉢を櫻誓願寺を会所に開催しました。
この日はちょうど宗祖法然上人の御忌会にあたり、また感染症の影響で追慕念佛行脚も中止が続き、青年僧として托鉢に参加できるのもこれが最後かと思うと身が引き締まりました。
寒風の中、市街地を歩いて行くと塾帰りの小学生が私たちを指さして「あっ!! お坊さんだ」と、興味津々に見つめてきました。近年、青年会の中でも「寒行托鉢は何のために行うのか」という議論が繰り返されてきました。被災地に支援金を送るためのお浄財をいただくためとか、自らの修行のために歩くのだとか、様々な意見がでてきましたが、シンプルにその行ずる姿そのものを見せることこそが何よりの教化となり、救済となるのだと痛感した托鉢となりました。
この日はちょうど宗祖法然上人の御忌会にあたり、また感染症の影響で追慕念佛行脚も中止が続き、青年僧として托鉢に参加できるのもこれが最後かと思うと身が引き締まりました。
寒風の中、市街地を歩いて行くと塾帰りの小学生が私たちを指さして「あっ!! お坊さんだ」と、興味津々に見つめてきました。近年、青年会の中でも「寒行托鉢は何のために行うのか」という議論が繰り返されてきました。被災地に支援金を送るためのお浄財をいただくためとか、自らの修行のために歩くのだとか、様々な意見がでてきましたが、シンプルにその行ずる姿そのものを見せることこそが何よりの教化となり、救済となるのだと痛感した托鉢となりました。
1月・法話
日本という国は小さい島国であるにも関わらず、世界でも有数の恵まれた生活を送っています。それが今脅かされているのは何故でしょうか。
私は世界が平和でないためだと考えています。食料自給率も低く、多くの物を輸入に頼りきっている我々ですから、世界情勢が不安定になれば立ち行かなくなるのは自明の理です。
では、今ほど貿易を行っていなかった過去の日本はどのようにして生活していたのでしょうか。
現代の生活に比べたら不自由なことも多く裕福とは言えない生活だったかもしれません。それでも感謝の心を持って、小さなことにも幸せを感じて日々の生活を営んでいたことと思います。
それこそが仏教で言う『小欲知足』です。読んで字のごとく、欲を少なく満足する事を知るという意味です。欲を完全に消すのは人間として不可能です。大切なのは欲とうまく付き合い、自分の欲を満たすだけでなく、満たされた分感謝を忘れず、そしてその感謝を周りの人や世界に還元していく事です。ウィズコロナと同様に、ウィズ小欲で本年も過ごしてまいりましょ
う。
私は世界が平和でないためだと考えています。食料自給率も低く、多くの物を輸入に頼りきっている我々ですから、世界情勢が不安定になれば立ち行かなくなるのは自明の理です。
では、今ほど貿易を行っていなかった過去の日本はどのようにして生活していたのでしょうか。
現代の生活に比べたら不自由なことも多く裕福とは言えない生活だったかもしれません。それでも感謝の心を持って、小さなことにも幸せを感じて日々の生活を営んでいたことと思います。
それこそが仏教で言う『小欲知足』です。読んで字のごとく、欲を少なく満足する事を知るという意味です。欲を完全に消すのは人間として不可能です。大切なのは欲とうまく付き合い、自分の欲を満たすだけでなく、満たされた分感謝を忘れず、そしてその感謝を周りの人や世界に還元していく事です。ウィズコロナと同様に、ウィズ小欲で本年も過ごしてまいりましょ
う。
12月・例会
12月8日に仏祖成道会黒衣法要を櫻誓願寺にて勤めました。コロナ下で法要を勤める機会が減っている中、大衆が揃って勤める法要がいかに尊く有り難いことだと感じたひとときでした。
先般、派祖降誕会に説教師として出仕しました。感染症対策のため団参でのお参りはありませんでしたが、一般参詣者の中にはメモを取り熱心に話しを聞いて下さった方がありました。これまで感染症のせいにしてついつい怠ってきた法要や布教をできる範囲でしっかりと勤めていくことが僧侶の本分であるとあらためて気づかされた瞬間でした。
先般、派祖降誕会に説教師として出仕しました。感染症対策のため団参でのお参りはありませんでしたが、一般参詣者の中にはメモを取り熱心に話しを聞いて下さった方がありました。これまで感染症のせいにしてついつい怠ってきた法要や布教をできる範囲でしっかりと勤めていくことが僧侶の本分であるとあらためて気づかされた瞬間でした。
12月・法話
今年は4年に1度のサッカーワールドカップがカタールで開催されました。
このワールドカップで数大会前から風物詩になりつつある、日本人サポーターによる試合後のスタンドの清掃。
始まりは日本が初めて出場した98年のフランスワールドカップ。3戦全敗にも関わらず、サポーターが試合後に清掃活動を行い話題になりました。
あれから約30年。今では日本人サポーターだけでなく、海外のサポーターも試合後のスタンドを清掃するようになったと言われています。
約2500年前、お釈迦様が説いた「掃除の功徳」という5つの教えがあります。
1 自心清浄
自分の心が清められる
2 他心清浄
他人の心も清めることができる
3 諸天歓喜
周囲の環境が活き活きする
4 端正の業を植ゆ
周囲の人、心、物事が整う
5 命終の後、まさに天井に生ずべけん
死後、必ず天井に生を受ける
つまり、「掃除をすると自分の心、他人の心が清められ、環境が活き活きし、死後も良いことがある」とおっしゃったのです。
日本人サポーターから始まった試合後の清掃は、まさに「掃除の功徳」を体現しています。
このワールドカップで数大会前から風物詩になりつつある、日本人サポーターによる試合後のスタンドの清掃。
始まりは日本が初めて出場した98年のフランスワールドカップ。3戦全敗にも関わらず、サポーターが試合後に清掃活動を行い話題になりました。
あれから約30年。今では日本人サポーターだけでなく、海外のサポーターも試合後のスタンドを清掃するようになったと言われています。
約2500年前、お釈迦様が説いた「掃除の功徳」という5つの教えがあります。
1 自心清浄
自分の心が清められる
2 他心清浄
他人の心も清めることができる
3 諸天歓喜
周囲の環境が活き活きする
4 端正の業を植ゆ
周囲の人、心、物事が整う
5 命終の後、まさに天井に生ずべけん
死後、必ず天井に生を受ける
つまり、「掃除をすると自分の心、他人の心が清められ、環境が活き活きし、死後も良いことがある」とおっしゃったのです。
日本人サポーターから始まった試合後の清掃は、まさに「掃除の功徳」を体現しています。